今回は、以前の職場である公立小学校の今の現状についてまとめておこうと思います。
私は今まで、公立小学校で勤務してきました。
A市では通常学級担任、B市では特別支援学級担任、そして、大学時代にはC市の小学校でボランティアをしており、3つの異なった市の小学校を経験してきました。
同じ公立小学校と言っても、市や地域によって制度や、学校の雰囲気、子どもたちの様子などは様々です。その中で私が今の公立小学校の現状として感じてきたことや問題点などを、以下にまとめていきたいと思います。
現在の小学校教育の通常学級編
さて、様々な「脳の個性」を持った子どもたちが集まって学習する場所、それが小学校です。公立小学校では、ある決められた校区に住んでいる6歳から12歳の子どもが年齢別に分けられ、文部科学省で定められている学習指導要領にそって、学習が進められています。
様々な子どもがいるからこそできることや、面白い発見は確かにあると思います。しかし、それによってのデメリットも多いのではないかと感じています。
では実際に私が公立小学校で働いて感じたことをまとめていきたいと思います。
バタバタな日常+教育政策の変化によってさらにバタバタに
小学校の現場はまさしく毎日ドタバタでした。
毎日の授業が終われば、行事の計画・準備に会議、研修、そして次の日の授業の準備。休み時間は全員遊びに宿題チェック、委員会活動、給食時間も給食指導や丸つけ、連絡帳のお返事などがあるのでゆっくり食べていられません。そんな忙しい日常の中に教育政策の変化も入ってきます。
詰め込み式の教育からゆとり教育への移行、そして、ゆとり教育脱却へ・・・総合学習の充実、英語教育の開始。そして2020年には新学習指導要領の教育が始まり、英語教育は3年生から、算数や理科の授業ではプログラミング的思考の育成、道徳も教科化されます。
このように、バタバタの日常の中に、教育政策の変化による研修や勉強会なども入り込み、とにかく毎日怒涛のような日々でした。
子どもの変化と親の変化
私自身よく感じたのが、「子どもたちの先生を見る目」です。
私が子どもの頃は、いくら優しい先生がいたとしても、「先生」は「先生」でした。注意をされると落ち込みましたし、間違いを指摘されるとすぐに直していました。
それは、私だけではなく、他の少しやんちゃな子でも同じだったと思います。
しかし、今の小学校では「先生」が「友だち」よりになっている場合があるということです。
- 「ここの答えが違うよ。やり直してみよう。」と声かけすれば、「うるさいなー」と言ってやり直さない1年生
- 担任の先生を授業中に呼び捨てで呼ぶ2年生
- 先生が前で話しているのにも関わらず、後ろを向いて友だちとおしゃべり、全く聞く気がない3年生
担任の指導力不足と言われるのも分かりますし、実際にそうであることも多いのも確かです。
しかし、原因はそれだけではないのではないかとも私は思います。
個別に対応できない葛藤
このような教室に最大40人の児童が一気に学習するとどうなるのでしょう。
計算が苦手な子に、漢字が苦手な子に、担任の先生は個別に手を差し伸べてあげることができるでしょうか。逆に、もっと難しい問題がしたい!と思っている子どもに対応することができるでしょうか。
むしろ、上に挙げたような教室でなく、教室の規律がきちんと守られているクラスであったとしても、40人もの個性に対応することができると思いますか?
私は、一人ひとりの子どもとしっかり関わり、個々の成長のサポートができる先生になりたいと思い、教諭を目指しました。「できた!」「分かった!」と成長する中で、学校って楽しい!と思ってもらうことを目標に、小学校教諭になりました。
初めて担任として通常学級を持ったときも、その思いは変わらず、一人ひとりに合わせた教育を・・・と思いながら授業を行おうとしました。
しかし、様々な家庭環境、能力、性格の違う子どもたちそれぞれに対応することは、困難を極めました。
子どもたち全員を見るためには、ある程度妥協しながら一人ひとりを見なければいけない。でも、難しすぎる内容や、簡単すぎる内容などその子のレベルに合わない学習を提供したところで、子供によっては無駄な時間になるのではないか?
その後、私は、特別支援教育に出会います。
小学校教育の特別支援学級編
今回は、一人ひとりに合わせた教育を受けられるB市の特別支援教育の現状やその問題点を挙げていきたいと思います。
特別支援教育が進んでいて多くの支援が受けられるといって人気のB市でしたが(支援目的で引越して来る人もいました!)、それでも問題点や考えるべき点はたくさんありました。
圧倒的な教師の不足
小学校という場においての問題点は、これに尽きると言ってしまってもいいでしょう。というくらい圧倒的な教師の不足が挙げられます。
子どもたちの苦手な場面は、一人ひとり多種多様であり、様々なサポートが必要です。しかし、通常学級では、40人の子どもに対してクラス担任が1人、特別支援学級に在籍していたとしても、6人の子どもに対して特別支援学級担任が1人、というクラス編成になります。
6人の子どもに対して教師が1人付くなら手厚いではないか・・・と思われた方もいるでしょうが、その6人は、クラスも学年も基本的にはバラバラです。従って、時間割もバラバラ、様々な学校行事の際もバラバラなのです。その中で、
「この子にはつかないと大変だ」
といった子どもを厳選して優先的にサポートする、という形になります。
行事や授業の妨害をしてしまう、他の子どもたちの邪魔になる(妨げになる)
といったところにあることが多いです。したがって、他の子どもたちの邪魔にはならないおとなしい子(指示が分からず困っていたとしても)は、必然的に後回しになってしまうのです。
もちろん、現場の教師もこれでいいとは思っていません。そばで見てあげたい子どもたちはたくさんいるのです。困っているということも分かっています。多くの教師はもっときちんと一人一人を丁寧にみてあげたいと思っていることも事実です。しかし、そこを見てあげるための手と余裕がないのです。
このように、一人ひとりのニーズに合わせた教育を目指している特別支援学級であっても、その恩恵を受けられるのは限られた子どもであると言えるでしょう。通常学級にいる子どもたちはこの限りではないことは分かりますよね。
教師の特別支援に対する知識不足・能力不足
基本的に、小学校の特別支援学級担任であったとしても、特別支援教育のスペシャリストである。という教諭はかなり少ないです。特別支援教育を専門にやってきた方は、特別支援学校や施設に行ってしまう場合が多いです。全員というわけではありません。もちろん、特別支援教育を専門としてやってきた小学校教諭もいることはいます。勉強熱心で、一人ひとりのサポートを考え、実践しておられる尊敬すべき教諭もいます。
が、実際の現場では、40人学級を持っても崩壊させてしまう、あまり力のない教師が特別支援学級担任に回される、といったこともよく起こる現実です。一人で子どもたちをまとめる必要がなく、複数の目で子どもを見ることができるからです。そういった教師は、勉強会に参加することも少なく、新たな知識を習得することも少ないけれど、給料だけはしっかりもらう・・・それでも成立してしまうのが、公務員なんですよね・・・。
また、通常学級担任の教諭によっても、発達障害に関する知識があり、理解のある教諭もいれば、そうでない教諭もいます。通常担任も通常担任で日々の業務に追われているので、その中で「時間割教えてください」「〜の支援についてですが」などと話しかけても、適当に流されてしまった理、後回しにされてしまったり、面倒な顔をされてしまったり・・・
学級担任と、特別支援学級担任がうまく連携し、すすめられると良いのですが、実際の経験上なかなか難しいというところが私の見解です。
学習内容
学校での学習は、基本的に文部科学省によって定められています。1年生ではここまで、2年生ではここまでなど、具体的に単元が定められ、学習指導要領に記載されています。
その学習指導要領にそって、学校では授業が進められていくのですが、やはり、子どもたちには一人ひとり、苦手な部分と得意な部分が存在します。しかし、なかなか学校教育という集団の中では、一人ひとりのニーズによって進度を変えていくわけにもいきません。
授業時間は削減され、教える内容は増加している現在、なかなか立ち止まって考える余裕はなく、教科書を進め、評価のためのテストをする。できる子はできるし、できない子はできない。そういった流れを感じます。
確かに、様々な子どもたちがいる小学校教育で、すべてをまかなうことはできません。家庭や地域にお任せしなければならない部分も大いにあるのですが、そこの部分も、両親の共働きの増加、核家族化、地域のつながりの希薄化などから、昔よりも弱くなっているのではないでしょうか。
なかなか難しい小学校での個別対応
一人ひとりのニーズに合わせた教育をうたっている特別支援教育。
通常学級と比べれば、確かに個別に合わせた学習を進めようとはしています。しかし、教師の不足などの現状から、B市の公立小学校でも、「抽出」と呼ばれていたクラスとは別の部屋に行き個別に合わせた学習をする時間は国語と算数に限られていました。
それ故に、漢字もほとんど読めない子どもなのに、社会や理科の時間は、教室で、みんなと同じ授業を受けていたのです。3.4年生ならともかく、5.6年生になると内容も難しくなかなか理解につながらず、授業を楽しむことはできませんよね・・・
それに、多くの学級への入り込みがあるため、「抽出」時間の教諭も一定ではなく、抽出している子供たちそれぞれに学習ファイルがあり、進め方などは次の抽出予定の先生に引き継ぎとして説明はしながら進めていましたが、学習内容や教え方も連続した流れで進めることには限界がありました。
学校という集団の中ですべてを網羅することは、難しいことは分かっています。しかし、このようなわけもわからない授業に参加し、テストを受ける・・・そんな時間に苦痛を感じている子どもたちは、本当にたくさんたくさんいるのではないかと思います。そのような時間を、その子に合わせた学習、将来の日常生活に役立つ学習をする時間にあてられれば、もっともっと成長し、「やればできるんだ」「できるって楽しい」「面白いことってたくさんあるんだな」と思えるのではないでしょうか。
「勉強=難しい、やってもできない」と感じているような勉強が嫌いな子どもも、個別にレベルにあった学習することで、「勉強=がんばったらできるようになる、楽しい」と感じ、勉強が好きになる子どももいます。そういった子どもを、私は増やしていきたいのです。
子供たちにとって有意義な学生生活を
学校教育という集団の中だからこそ、学べることもたくさんあります。しかし、現在の公立小学校で行われている集団教育、一斉授業には多くのデメリットの部分も抱えています。学校教育という集団の中だけでは、どんどん勉強が嫌いになる、集団が嫌いになってしまう子どもたちもたくさんいるように感じてきました。
「勉強ができるようになりたい」
「友だちたくさんつくりたい」
「ほめられたい」
全ての子どもたちはこう思っています。
そのためには、どうすればよいか。
一人ひとりに合わせたやり方を個別学習といった形で一緒に考え、実践し、習得していくことで、より楽しい学校生活、日常生活、そしてより素敵なその子らしい人生につなげていくことができるのではないでしょうか。